++ FAITH ++

はてダの移行

人生はいつまでも「教わること」

Kosen Advent Calendar by Teacher
の記事になります.
25日間のなかのひとつの記事とさせていただく機会をくださった
june29さん,いのうえ先生,ありがとうございます.


この記事を書くにあたり,Kosen Advent Calendar(General, Teachers)の記事を一読しました.
みなさん高専へのあつい想いがあり,とても感慨深い気持ちになりました.

私について

さて,私の表面上の経歴を簡単に記しておきます.

2001年:「21世紀最初の高専生」として旭川高専生デビュー
2006年:専攻科へ
2008年:大学院へ
2012年:高専カンファin旭川に参加(釧路はやんごとなき事情にて欠席)

専攻科→大学院のおはなしは高専カンファin北海道02にてお話させてもらっていて
SlideShareがあるのでそちらをご覧下さい.
「女子高専生が3万円で人生を変えた方法」


ここまで書いて,今このAdventはTeachersだったことを今一度思い出したので,
教師っぽいことをしていた経歴を記しておきます.

2005年:同級生の紹介で,某チェーン系個別指導塾の講師デビュー(〜2008年)
2007年:高専・制御情報工学科の1年生の補習(数学)担当ティーチングアシスタント(1年間)
2008年:大学2年生(工学部)のC言語講義担当ティーチングアシスタント(1年間)
2009年:大学1年生の情報学担当ティーチングアシスタント(〜2012年)
2011年:高専情報工学科の5年生の選択講義担当非常勤講師(〜2012年)
2011年:某専門学校の非常勤講師(1年間)
2012年:大学1年生の情報系講義の非常勤講師(1年間)


今書き出してみるとかなり働いています.
特に,大学院に入ってからはバイトは一際せず,TAと非常勤講師で生活していました.

「ダメ高専生」が「教える職業」に就いたこと

上記Slideshareでもありますが,私の高専時代の成績は
20番台を上回ったことがありませんでした.
しかし,気がつけばもう6~7年,なにかしら「教える職業」でお金をいただいています.
バカでダメな,しかも教職課程で学んだわけでもない高専生が教えられることって何だったんだろう.


教える側になってみてわかるのは,「頭がいい=人に物事を教えられる,ではない」ということでした.
高専の時の大好きだった数学の先生はとても頭がよくて,教えるのもとても上手だったけど
「どうしてその式変形になったんだ!?2段階くらい飛ばしてるだろ!!」
ってことが多くありました.
私はバカなので,2段階も飛ばすことはできず,細々式変形を書かなければたどり着けません.
学生に教えるときも,(私がバカだからという大前提がありますが)できるだけ細々としたことを
教えられるように気をつけています.
自分には当たり前でも彼らにとっては生まれて初めて触れた新しいものですから.


そして,質問をしてくれる学生の有り難さを感じるようになりました.
「教えられる側」だったころは,こんな質問をしたらバカと思われて恥ずかしい気持ちが多く
なかなか質問することも出来ませんでしたが,
素直に質問をしてくれることで,「自分が教えられなかったこと」や
「みんなの理解度」がわかるようになりました.

あきらめないで!

私は高専生でいたころ,バカだから人に教える職業はムリだと諦めていました.
当然ながら知識は必要です.中身が伴っていない人に教わることほど,不安なことはありませんから.
しかし,「バカだ」というそれだけて,色々なことを諦めるのはそれこそ「バカ」だと思います.
人に教える職業というのは自分の鑑を常に見ていられるわけで,とても新鮮です.


学生でいると,先生を呼び捨てや変なアダナで呼び,バカにすることも多いでしょう.
「先に生きる」と書くとおり,先に生きているからこそ,学ばせてくれることがあると思うようになりました.
今一度,自分が「コイツ教師失格だわー」と思っている先生の生き様に目を向けてみるのも良いと思います.

さいごに

私が高専生でいた7年間と同じだけ,高専を旅立ってから時間がたちました.
高専の中にいるとわからなかったけれど,卒業してからの年月に,高専で生きた一日一日が
少しでも輝きのあった日だと思えるよう,充実した日を過ごしてください.